相似形

リンクス この世界には相似形がよく見られるということは、時折紹介していますが、分かりやすい例だと思うものが、カラパイアというブログに放電により描かれる無数に枝分かれした樹状の美しい模様「リヒテンベルク図形」動画ありと題して掲載されています。

 タイトル通りに、リヒテンベルク図形を扱ったものですが、このリヒテンベルクというのは、「1777年ドイツの物理学者、ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルクが発見したもので、当時,電気の本性は流体であると考えられており,リヒテンベルク図形は電気流体の流れたあとを示すものとして非常な注目を集めた」ということだそうです。

 雷の放電した図形というのは、確かに見慣れたといえば見慣れたものですが、こうして静止した図形をみてみると、樹木にも、人体の毛細血管にも、木の根にも、干ばつ地帯の地割れにも見えます。



これは正に、木の根っこそのままという感じです。

 
これは樹木の枝葉にも見えるし、中央下の放電箇所と思われる周辺は、楓(かえで)のような葉っぱや、花弁の模様のように見えます。


これはもう、まんま根っこという感じです。

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粒子テレポーテーション

リンクス WIREDに16km間隔での「量子テレポーテーション」に成功という記事が掲載されています。

 なんでも、16Kmの自遊空間距離をへだてて、光子(フォトン)の情報のテレポーテーションに成功したのだということで、これは量子もつれの関係にある二つの粒子が、互いに共依存の状態にあって、相手の状態の影響を受けるのだそうです。

 この量子もつれの関係については、以前にも紹介しました。なんでも時間も空間も超越しているということで、16kmというのも、その記録を更新したという感じのようです。

 その証拠に、記事では「1997年に初めて成功した。2004年には東京大学の古澤明教授らが3者間での量子テレポーテーション実験に成功」としています。

 これはまさしく、時間も空間も超越しているという、霊界の様子を思わせます。亡くなった魂が、時に自分の死んだことに気が付かずに何十年も地上に残るという場合も、時間の感覚が無くなっているからのようです。普通なら、毎日同じように暮らしてて、誰も自分の存在に気が付かないし、肚も減らない、何だかおかしいと思うはずです。

 それはされおき、粒子の段階ですでに地上の物理の法則を超越しているのですが、その粒子が究極ではなく、本当の究極があると考えられています。それは、複数ではなく、一つではないかと推測されていますが、それを点粒子ではなく、弦であるとするのが、超ヒモ理論です。

 このヒモは、様々に異なるバイブレーションを発して、それが各粒子に相当しているのではないかと言われていますが、霊界通信のメッセージから鑑みると、確かに元となるもの(霊素などと呼ばれる)が宇宙に瀰漫しているものの、例えばある階層に住むスピリットは、その世界にある霊素から、幽体(ボディ)を得て活動しているようですが、波長の異なる階層の霊もまた、その世界の波長に等しい霊素で幽体をまとっている様です。

 つまり、根源的とされる霊素も、様々なバイブレーション(波長)によって、その性質も変えているようで、現実には地上(物質世界)も、その霊素によって構成されていると考えられます。
 それが、ヒモなのか分かりませんが、仮に超ヒモ理論が正しいとすれば、高級霊の語る霊素=ヒモだと考えられます。

 すべての次元にまたがって存在している霊素が、状態の異なる階層(次元)ごとに、波長を変えて瀰漫しており、それは地上世界も同じだということが考えられます。

 ただし、超ヒモ理論は実績もめざましく、究極とされながらも、理論上は多次元が存在してしまうことになり、まだ観測できないことから、超高エネルギーでの実験が可能ならばそのような次元を直接確認し、理論を検証できる可能性があるが、21世紀初頭の技術的展望では不可能だとされているという点が、惜しい所です。

 しかし、シルバーバーチなども、やがて地上の科学者たちも、自らの理論で霊界が存在すると、認めざるを得ない時代が来ると語っています。その時代は、案外近いのかも知れません。
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スティーブ・ジョブス氏の哲学

雑感 ITmediaニュースというサイトに、「究極のデザインは卵」 ジョブズの製品哲学、元Apple副社長に聞く
という記事が掲載されています。

 タイトル通り、Appleの創業者の故スティーブ・ジョブス氏の哲学に関するものです。ジョブス氏のエピソードは様々に語られており、賛美するものもあれば批判的なものもあります。

 しかし前回述べたように、人にはそれぞれ個性もあり、良い点は学ぶべきと言えます。基本的にはシンプルなものが好きな様で、ジョブス氏の補佐役だったエリオット氏は、ジョブス氏は仏教の影響を受けていたといいます。
「商品づくりやデザインで本当にシンプルなものにひかれていた。仏教の精神は自然と調和しているシンプルなものだし、彼の生活も非常に質素で、お金にまったく価値を見いだしていなかった」。そのこだわりを示すエピソードとして、ジョブズ氏はMacの開発時に「究極のデザインは卵だ」と発言していたという。アップル製品のカラーに白が多いことに加え、iPodなどでのボタンの少なさに卵からの影響があるとエリオット氏はみる。
 タマゴが究極なのか否かは別として、自然と調和したシンプルなもの、というと実際日本庭園などを思い出します。

 しかし、シンプルというのは多機能と違って、使い難いかの印象もありますが、現実には極めて使いやすい製品が多いことも特徴の一つです。

 まず驚くのは、キーボードをどうやって排するかという思想です。これはPCを操作するなら、誰でも通る関門ですが、「慣れてくれ」というのが普通のメーカーの考えです。そして、慣れてしまった人間というのは、実は初心者のことを忘れがちでもあります。

 ジョブス氏も、当然ながらキーボードの操作は手慣れたものでしょう。しかし初心者にとって敷居の高いキーボードを無くそう、という発想は凄いものです。ただ、この思想があった為にマウスの発明に至ったのだと思います。

 そして個人的に最も貴重と思えるのは、エリオット氏の写真の下にある文章、「自分がユーザーとして使いやすい商品にこだわっていた」と語る米アップル元副社長のジェイ・エリオット氏というものです。

 シンプルで簡素(同じか^^;)、というのはそっけなくも見えます、一見すればこれでもか、と機能を詰め込む日本の製品の方が、サービス精神旺盛なように見えますが、自分自身もユーザーとして、つまりユーザー目線に立った場合の配慮、という点では、ジョブス氏の製品の方に一日の長があるようです。

 機能を詰め込むのは、機能競争に陥っているという点もありますが、どこか「売る為」という匂いがして、その為に本当に使いたい機能が、その他いろいろな機能に埋没して、見つけ難いと感じることがあります。

 この「売る為」と「ユーザーの為」との違いは、何か差を生むようです。日月神示風にいうと「心配(こころくば)り」でもあり、自分がユーザーとなって、使い易いものにする、という視点は、「自分がして欲しいと思うことを他人にも施せよ」、というキリストの言葉とも合致します。

 これは以前にも述べた事がありますが、売り上げの為のへりくだったサービスと、本当に歓迎する意味のおもてなしとは、上手く表現できないですが、何かが違うのです。
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霊の殻

── 各界を構成している成分は地球のようにマテリアルなものですか(materialには”物質的””実質的””実体のある”等々様々な意味があり、それを観念的に理解していただくために敢えて訳さずにおいた─訳者)

「私という存在はマテリアルでしょうか。男女の愛はマテリアルでしょうか。芸術家のインスピレーションはマテリアルでしょうか。音楽の鑑賞力はマテリアルでしょうか。こうした質問に対する答えはマテリアルという言葉の意味によって違ってきます。あなたのおっしゃるが実感があるのか、実体があるのかという意味でしたら答えは”イエス”です。なぜなら霊こそ生命の実在そのものであり、あなた方が物質と呼んでいるもの、すなわち物質の世界はその実在を包んでいる殻にすぎません」

-『シルバーバーチの霊訓』/M.バーバーネル
/近藤千雄訳:潮文社-


シルバーバーチ シルバーバーチは、個人的な印象では、「言葉の定義」などの、受け取る側を意識した、慎重な姿勢があるように思います。

 受け取り方次第では間違った印象をあたえる可能性のあるものには、よくこうした言葉の定義について、断りを付けるシーンがよく出て来ます。

 これは日月神示などの、誤解も何も構わず、むしろ誤解を生みやすい表現なのと相反している所です。

 ちなみに、大本神諭を降ろした経ての役目は出口ナオ女史と呼ばれ、ヨコの役目は王仁三郎氏で、人に分かりやすく噛み砕いて伝える役目だと言われていました。

 一見すると、まるで似ても似つかない日月神示とシルバーバーチなのですが、何故か神示の意味について、色々考えている時に、分かりやすく噛み砕いて教えてくれるように思えたのが、シルバーバーチの霊訓でした。

 話は変わって本題ですが、よく物質と霊とは重なり合って存在している、と言われています。その為鉱物などの無機質なものでも、放射物(オーラ)を発しているのだというのです。

 これは過去にも何度が言及しましたが、何も物質に意識を持った魂が宿っているというのではなく、スピリットの呼ぶ霊とはまた別の意味合いで、物質の元となる根源的な(よく霊素とも訳される)成分です。

 オーラは電磁気的な性質があり、現代でも利用されているホログラフィック・ストレージと同じで、物質の裏には目に見えない霊と重なっている為に、所有者の念などが籠もり、それを読み取れる場合もあるのかも知れません。

 そういう意味では、霊界というのは立派に「物質的」な世界であるようです。何も意識だけがフワフワしているようなものではなく、山も木も家も川もあり、しかも地上よりも、ずっとシッカリした実感を伴った世界だと言います。

 ただ、地上よりも緻密で軽妙な物質と一体だった霊だけの世界なので、人の意識が伝わったりという異次元的な要素があるようです。
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偉人崇拝

 耶蘇(やそ=キリスト教)にしても釈迦にしても、人類が生んだ最も偉大なる聖者であることに何等疑いの余地はない。
 併(しかし)斯(か)かる偉人の優劣を比較論争して居る暇があったら、どちらでも良い、その百分の一の人格にても自己を磨き上げることがより尊いことである。二千年も三千年も昔に世を去った人々の思想を色々と詮索することが無用だとは云はないが、それよりも目の前にある少しでも立派な人の美点を学んで自分自身の魂を向上させることが、より一層大切なことである。自分の魂を磨くことを忘れて大聖人の教(おしへ)を彼此(かれこれ)論ずるのは天を恐れざる不虔(ふけん)の行為である。
信仰なるものを偉人崇拝と同一に考へてはならない。

-『惟神の道』/出口王仁三郎:あいぜん出版-


王仁三郎 以前の記事で、臨死体験した人物の証言の中に、キリスト者(キリスト教信者)は、キリストを崇拝するのではなく、「キリストの生き方に倣う人」のことだ、ということを悟った話を紹介しました。

 しかし、キリスト様、お釈迦様、と崇拝するのが信仰では無いと言います。これは実に楽なもんです。
 基本的に、人間というのは知らない内に楽な方へ進んでしまう様で、色々な問題点も、根本的には「金」の為か、「楽」だからか、どちらかという感じです。

 それと、理屈の上では魂は平等な筈なのに、経験の違いから随分とバラエティーに富んだ個性があると思います。霊界ではまず無いと考えられますが、地上ならではの特徴で、同じ地上に様々なタイプの人が同居しています。

 神経質だったりズボラだったり、全く相反する性質の人もざらにいますが、万遍なく開発された人は居ないですから、何かしらの点で、身の回りには優れた人がいる筈だと思います。

 ある人には気さくさ、楽観主義を学んで、ある人からは慎重さ、思慮深さを学ぶなど、何かしら人より優れたものがある筈です。
 そして、この凸凹している状態は、円満に万遍なく開発された高級霊よりも、ある意味楽しいかも知れません。人それぞれに得意なものを補い合うことが出来るからです。

 そう考えると、確かに昔の高級霊の宿ったキリストや釈迦を論ずるよりも、周囲にいる優れた面を有した人を手本にした方が有意義だと思います。
 逆に、何かしらの面で自己の開発された面を、人の手本となることもあると思います。
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